毒親育ちの生きづらさ克服〜カウンセリングって必要?〜
過干渉系の母親との縁切りに成功し、平穏な日々を過ごしている毒親サバイバーの朱音です。
このブログでは、毒親サバイバーが抱える生きづらさが少しでも楽になるような情報や心の在り方のアドバイスを紹介しています。
今まさに親子関係で悩みを抱えている方、毒親育ち特有の生きづらさを抱えている方のお役に立てればと幸いです。
今回ご紹介するテーマは、「毒親の克服」です。
「毒親 克服」とGoogleで検索すると、毒親の克服方法を紹介した記事がたくさん出てきます。毒親を許す、毒親を制裁する、毒親と和解する──記事によって、さまざまな“毒親の克服法”が紹介されています。
あるいは、毒親育ちであるがゆえの「生きづらさ」や「アダルトチルドレン(AC)」の克服法といった記事も見かけました。確かに、この苦しい思いを楽にできたら、どんなに良いことでしょうか。
けれども私は、「克服」という言葉に強い違和感がありました。医者でもカウンセラーでもない素人の言うことですので、他の記事で書かれていることが正しいのかもしれません。ですが、毒親の元から逃げ出し、以前よりは心穏やかに過ごせるようになった当事者として、やはり「克服」という言葉はしっくりきません。
【克服(こくふく)の意味】
努力して困難にうちかつこと。困難をのりこえること。「病を──する」
毒親や生きづらさというのは、果たして「努力して打ち勝つべきもの」なのでしょうか。子どものころ辛い思いをして、今も苦しくて、それでもまだ頑張って「やっつけなければならない困難」なのでしょうか。
私はそうは思いません。
だって、いくら頑張っても、毒親に育てられた事実は消えないのですから。
今、私は母親の元を離れ、以前よりかなり心穏やかに過ごせています。ですが、母親に「打ち勝った」という認識はありません。まだまだ母親の呪縛を感じることはありますし、母が嫌いという気持ちは残っています。
では何故、心が穏やかなのか。それは、「受容」と「忘却」に拠るものだと考えています。
生きづらさを抱えた自分も自分であり、無理に変わる必要は無い。そう思えるようになってから、随分と心が軽くなりました。また、単純に時間が経ったことで、母のことを少しずつ忘れていく自分もいます。
こうしたプロセスについて、本記事では具体的にお伝えしていきたいと思います。
1.受容のプロセス
毒親育ちによって生きづらさを抱えている方は、「自分が変わらなければいけない」「今の自分は駄目だ」と考えている人が多いのではないでしょうか。
私も過干渉の毒親の元で育ち、自己肯定感が非常に低い状態にありました。
- 親に評価されなければ、自分の存在価値は無い
- 私は世間一般よりも甘ったれである
- 私は性格が悪く、周りから嫌われている
実際には、普通に働いていますし、親以外の人からも尊重されていました。けれど、幼い頃から、「外面は良いけど、家ではわがままで駄目な子」と両親から言われ続けていたため、自分をそのように評価してしまっていました。
母親との壮絶なバトルを経て、私は実家を出ました。親子の縁は切れ、結果として、親から評価されることも無くなりました。親の評価が全てだった私は、いよいよ自分の存在価値が無くなるのではないかと不安でした。が、結果は逆でした。
親から評価されなくても、私、生きていけてるじゃん。
そうなのです。成人して、働いて、自分のお金で食べていける。自分の力で生きていけることを実感したことで、私の中で失われていた自信が少しずつ回復してきました。
メンタルトレーニングや瞑想で考え方を変えた、ということは一切ありません。ただ実家ではない場所で生活する、それだけでした。それだけで、これまで私を縛り付けていた「お前は駄目な子」の呪縛が解け始めたのです。
もちろん、すぐに正しい自己評価にたどり着けたわけではありません。「親を捨てた私は酷い人間で、一生誰からも愛されない」そういった考えに支配されていた時期もあります。
ですが、ネガティブな思考に支配される度に、「いやいや、そんなことはない。親がいなくてもちゃんと生きていけてるじゃないか」と思い直すことは心掛けていました。吐き出すときは思い切り吐き出して(Twitterに書き殴っていました)、大号泣して、布団をかぶって、「それでも生きてる、生きてる…」と呟いていました。とても他人様には見せられるものではありませんでしたが、割と効果があったと感じています。
これを繰り返しているうちに、徐々にネガティブ思考に陥る頻度が減り、自分の人生を前向きにとらえられるようになりました。(=自分の人生は自分のもの)
私の場合、ネガティブな思考は放っておいても湧き出てしまいますが、ポジティブな思考は意識しないとできませんでした。そもそも実家にいる頃は、ポジティブに思考するという選択肢自体がありませんでした。「自分の人生は自分のもの」と思えるまでのプロセスは、まとめると以下のようになります。
実家を出る
↓
一人で生きていける自分に気付く
↓
ネガティブ思考に陥ったとき、反論できるようになる
↓
ネガティブ思考の減少=自己肯定
このプロセスだけが唯一の正解というわけではありませんが、少なくとも私の場合は、お金を払ってカウンセリングを受けたり、メンタルトレーニングをしたりしなくても、「自己肯定感」を取り戻すことができました。
いずれにせよ、自己肯定感や生きづらさの解消は、一朝一夕でできることではありません。今ある自分を認めることを心掛けつつ、「そのうち楽になるさ」くらいの気楽さで、日々を淡々と過ごすこと。
肩に力を入れて「自分を変えなければ!」と思い続けるよりは、それくらいの姿勢でいた方が良いのではないかな、というのが私の感想です。
2.忘却のプロセス
そんな簡単に忘れられないよ!と思うのが普通です。私も嫌だったことをサッパリ忘れたと言うわけではありません。もともと人間は本能的に、嫌だったことや辛かったことを忘れないようにできています。
忘れたというよりは、「記憶が遠くなった」といったイメージが近いかもしれません。
実家を出た直後は、些細なことがきっかけで母のことを思い出していました(そして、その度にネガティブ思考にハマります)。ですが今は、それほど頻繁には母のことを思い出しませんし、思い出したとしても、過度に落ち込むことはありません。
記憶全体をコップの水だとすると、辛い記憶は水に混ざった泥です。水に混ざったばかりの泥は、全体に拡散して水を濁します。ですが、時間とともに泥は沈殿して、コップの底に溜まり、上の方の水は澄んでいきます。
コップ全体をかき混ぜるようなショックな出来事があれば、その泥は再び記憶の表面に浮かび、水を濁すでしょう。逆に、毒親と離れて平穏な日々を過ごしている限り、水が濁ることはありません。コップには綺麗な水が注がれ続け、泥はどんどんと深いところに沈んでいきます。やがて、泥は少しの刺激では浮かんでこないようになります。
あくまでイメージの話ですが、泥が少しずつ沈殿していくように、辛い記憶も少しずつ、記憶の表層から離れて沈んでいくのだ、ということが伝われば幸いです。
では、辛い記憶をあまり思い出さないようになるまで、どれくらいの時間が掛かるのでしょうか。これには、かなり個人差があるものと思います。私は大体3年ほどで、「あれ?最近お母さんのこと、あまり考えないなあ」と気付いた感じでした。一方で私の母は、「5歳の時に祖父から熱い急須を押しつけられた」「兄弟と比べて、私は可愛がられてこなかった」「不細工と言われた」という話を40歳、50歳になってからもずっと続けていました。(実の子どもに自分の不幸話をする時点で、かなりの毒親ポイントです…。)
辛かった気持ちを吐き出すことは大切ですが、何度も繰り返し語ることで辛いことを追体験してしまっては本末転倒です。前向きになる手段として気持ちを吐き出すのは構いませんが、不幸自慢や、不幸な経験を自分のアイデンティティとする態度(悲劇のヒロイン症候群)はよくありません。
辛い気持ちをアウトプットする際には、以下の2点が目的であることを意識しましょう。
- 辛い気持ちを我慢しないため
- 何が辛いのか、自分の気持ちを知るため
周りに理解されたい、可哀想と思われたい、慰めてもらいたい、といったことを目的にすると、非常に不健全な悪循環に陥る可能性があります。次の章で詳しくご説明します。
3.他人に依存しないために
毒親育ちの方は、子ども時代に親から健全な愛情を受けることができていません。そのため、大人になってからも「認められたい」という強い欲求が残ってしまう場合があります。
心の整理をするために、辛かった話を誰かに聞いてもらうことはあると思います。ですが、「相手に慰めてもらうこと」「相手に認めてもらうこと」を目的にしないようにしましょう。辛かったことを話せば優しい言葉をかけてもらえるかもしれませんが、それが目的化してしまうと相手に依存してしまうことになります。
「この人は私のことをわかってくれる」
「この人がいないと私は生きていけない」
これは、健全な態度とは言えません。なぜなら、いくら不幸話を優しく聞いてくれたとしても、その人はあなた自身ではないからです。あなたの不幸はあなた自身で受け止め、消化しなければ意味がありません。ですが、優しく話を聞いてもらうと、それが心地よくて繰り返し自分の不幸話をしてしまいます。結果として、不幸な経験はいつまでもあなたの心に残り続けてしまいます。
また、話を聴いてくれる相手は、あなたのために存在しているのではありません。相手には相手の人生が、あなたにはあなたの人生があります。「話を聴いてくれて当然」「どうして慰めてくれないの」──こうして相手を自分の承認欲求を満たすために利用するような態度は、どこか毒親にも通じるものがあります。
では、どうすれば相手に依存することを避けられるのでしょうか。
残念ながら、私はまだこの答えに辿り着いていません。周りの毒親育ちの人たちを見ていても、完全に自立していると言うよりは、配偶者やパートナーの肩を借りながら生きていっているといった印象です。
あるいは考え方を変えて、人間は完全に独りで生きていくことはできないと割り切ってしまうこともできます。ある程度の依存は許容し、相手を束縛しない程度に頼りながら生きていくのも、お互いが納得の上であれば問題ありません。
ただ、毒親育ちの私たちが最も気をつけるべきことは、「子どもに依存しない」ことです。子どもだけが自分の生きがい、子どもだけは私のことをわかってくれる──本来子どもに頼られるべき親が、反対に子どもを頼っている状況が、子どもにとってどんな悪影響を与えるか、いちばんわかっているのは私たちです。
相手を一人の人間として尊重し、自分自身も一人の人間として自立して生きること。毒親問題においては、このことがとても大切なのではないかと思います。
4.まとめ
今回は、実際の経験を元に、私自身の思いや考えを書きました。まとめると、以下のようになります。
- 毒親は無理に「克服」しなくても良い
- 自立することで自信がつき、ネガティブ思考が徐々に無くなっていく
- 静かに過ごし、記憶が薄れるのを気長に待つ
- 他者(特に自分の子ども)に依存しないよう心掛ける
全ての方に当てはまることばかりではありませんが、少しでも参考になれば幸いです。生きづらさを解消したいがあまり、他人に依存してしまったり、高いお金を払ってカウンセリングを受けたりといったことがあるかもしれませんが、個人的にはあまり思い詰めないでほしいと思っています。
毒親という言葉が流行り、それでお金儲けをしようと考える人が出てくるのは、当たり前といえば当たり前です(HSPにも同じことが言えるなあ、と感じる昨今ですが…)。お金を払って効果があれば問題ありませんが、そうでない場合もあるでしょう。
うつや適応障害であれば、病気ですのでお医者さんに診てもらうべきですが、「毒親」「生きづらさ」は病気ではありません。これまで名前がついていなかった状態に、名前がついただけです。そういったことを踏まえながら、カウンセリングやメンタルトレーニングについても検討していただければと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。