ASDの母親とHSPの娘の葛藤【実体験】
過干渉系の母親との縁切りに成功し、平穏な日々を過ごしている毒親サバイバーの朱音です。
このブログでは、毒親サバイバーが抱える生きづらさが少しでも楽になるような情報や心の在り方のアドバイスを紹介しています。
今まさに親子関係で悩みを抱えている方、毒親育ち特有の生きづらさを抱えている方のお役に立てれば幸いです。
今回は、「ASDの母親とHSPの娘の葛藤」として、私の実体験をお伝えします。
ASD(自閉スペクトラム症、アスペルガー症候群)系の発達障害を持つ方は、人の心情やその場の空気を読むことが苦手です。また、こだわりが強く、集団生活ができない、人の気分を害する発言や行動でトラブルを起こすといった困難があります。
HSPとはHighly Sensitive Personの略で、外部の刺激や他人の気持ちに人一倍敏感な人を指します。
ASDとHSPは、特に人間関係においては真逆の特性を持っており、お互いの良いところを補完し合える場合もありますが、全く相容れず、一緒にいてもお互い疲れてしまうだけの場合もあります。
さて、我が家の場合はどうだったかというと、完全に後者でした。自分中心で周りを気にしなさすぎる母と、他人中心で周りを気にしすぎる私。今から振り返れば、生まれ持った特性なので致し方ないと思えるのですが、当時は自分と全く違う感性・考え方の母親を受入れることができませんでした。
HSPの私から見た母親はどんなものであったのか、なぜ私たち親子は道を違えてしまったのか、具体的に辿っていきたいと思います。
【実体験】
私の母親は、ASDの傾向がありました。こだわりが強く、一つのことに集中し出すと周りが見えませんでした。裁縫やゲームが趣味でしたが、一度始めるとゲームがやめられず、当時4才の私を放っておいて、テトリスを6時間ほど遊んでいたこともあります。
人間関係を築くことも非常に苦手で、幼稚園のママ友やご近所さん、義理の父母など、数年に1回は大きなトラブルを起こしていました。
そのため友達も少なく、スーパーに買い物に行く以外はずっと家の中にいました。半ば引きこもりのような状態で、話し相手は私と父だけ。自分の好きなことを話し出すと止まらないので私と父がうんざりしていると、「お母さんのこと嫌いなんでしょ」と拗ねる始末。そんな母が面倒で、父も私も家を空けがちになり、母の機嫌が悪くなるという悪循環の中で過ごしていました。
母は家庭以外に居場所がありませんでした。子どもの頃からそんな性格なので友達がおらず、私が成人して子育てが一段落しても、外に遊びに行くなどはしませんでした。そして、相変わらず私のことを子ども扱いして世話を焼き、自分の唯一の役割である「母親」を果たそうとしたのです。
私が家を出ようとしたとき、母のヒステリーぶりには恐怖を覚えました。茶碗を割ったりトイレに閉じこもったり、まるで幼稚園児を相手にしているようでした。母の人生において、私が唯一の拠り所だったのだと思います。母にとっては、私の自立よりも、母自身の寂しさを紛らわせることが優先でした。
「もう、私は子どもじゃないよ。お母さんの後ろに隠れていた、泣き虫の幼児ではないんだよ」
「あの頃は可愛かったのに、私の大切な朱音なのに」
「よく見てよ、もう大人だよ。もう可愛くないなら、一人暮らししても良いでしょ」
「ダメ、そんなの認めない。お母さんが死ぬまで一緒に暮らすの。結婚以外で家を出るなんてありえない、普通じゃない」
「何がそんなに可愛いの、私の何処が良いの」
「幼稚園のお遊戯会でハキハキ発表してて、お母さんにはできないことだから凄いなと思ったし、小学校でも学級委員をして偉かった」
高校時代に1日14時間勉強したことや、国立大学に受かったこと、母の希望通りに進めた就職のことは一切触れませんでした。私が精神的に自立していることを、母は認めたくなかったのでしょう。「私の自立」と「母の寂しさ」は完全に相反するのだと気付きました。
このままでは自立できない。私は、母の寂しさを埋め合わせるだけの存在ではない。私は、私の人生を歩みたい。
上の会話を交わした後もしばらく母親との話し合い(というか修羅場)は続きましたが、最終的には父が私の思いを理解して、連帯保証人と引っ越し当日の荷物運搬に協力してくれました。
【まとめ】
今でも、たまに母が夢に出てきます。私の言うことを一切理解してくれず、大げんかを繰り広げる夢もあれば、母が私を一人の人間として認めて接してくれる、理想的な夢も見ます。
最終的に母とは折り合いがつきませんでしたが、それでも二十数年間一緒に過ごしてきた家族です。二十数年の間には、楽しかったことも悲しかったこともありましたが、一緒に困難を乗り越えてきた「仲間」でもあると思っています。
過ごしてきた日々が無かったことにはなりませんし、これからも母の存在は私の心の中に居続けるでしょう。それでも、私は私の力で生きていかなければなりません。母への恨みも葛藤も自分の一部として受け入れて、前に進んでいきたいと思っています。
もちろん、一筋縄ではいかず、どうしようもなく精神的に落ち込むこともあります。ですが、そんな自分も含めて自分なのだと思うことが、毒親からの自立の一歩だと考えています。
私の経験が、皆さまに少しでもお役に立てれば幸いです。
▼実家からの逃げ方